開山岌山上人と林弾左衛門のカシャ退治
開山岌山上人と林弾左衛門のカシャ退治
開山岌山上人と林弾左衛門のカシャ退治
元和8年(1622年)、清見寺開基鹿野和泉守の葬列にカシャが現れ、その遺体を奪おうとしました。カシャは浅間山の頂きから黒雲のように湧き上がり瞬く間に岩櫃山まで覆い尽くしました。よく見ると四つ足で猫のようでありました。
あたりは急に真っ暗闇となり、雷鳴が響き渡り、雨あられが降り始めました。参列していたものたちはみな恐怖のあまりその場から逃げ出しました。しかし逃げずに棺を護ったのは、清見寺開山岌山上人と、真田昌幸公から「頼もしきものなり」と評された林弾左衛門、その孫虎太郎ででありました。
岌山は「南無阿弥陀仏」と念じて数珠で虚空を払い、林虎太郎は祖父弾左衛門の刀でカシャに斬りかかる。必死に棺を奪われまいとすること1時間ほど。ようやく静けさがもどり青空が広がりました。虎太郎の持っていた刀の切っ先三寸ほどのところに血がついていたといいます。
人々は岌山上人の祈りと虎太郎の勇気を褒め称え、「このふたりがいれば、どんな悪鬼悪魔も寄せ付けないにちがいない」と評されたのであります。
こうして人々は安心して暮らせるようになり、清見寺は人々の信仰を集め、寺は益々繁栄したということです。
(『上野国吾妻記』より)