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気の遠くなるような時間

 今日はお寺ヨガでした。参加者17名。

 私たちの住む地球から、北の空に輝く北極星までの距離はどのくらい離れていると思いますか。答えは約9000兆キロメートル、または323光年離れているそうです。1光年とは一年間に光が進む距離のことですから、つまり今私たちが見ている北極星の輝きは、323年前のものということになります。日本の歴史で言えば忠臣蔵で有名な赤穂事件※ があった頃の輝きを見ていることになるのです。気の遠くなるような距離を超えて、私たちの目に届けられていると思うとたいへんありがたいものですね。

※1701年3月14日、浅野内匠頭が江戸城中において吉良上野介を切りつけたつけたことに始まる赤穂浪士討ち入りのお話

 さて、仏教ではもっと気の遠くなるような時間のお話になります。それは煩悩に覆われた私たちが菩提心をおこして覚りを得るまで(仏になるまで)には「三阿僧祇劫」という途方もない時間がかかるというのです。「阿僧祇」とはサンスクリット語で「無数」を意味する言葉、そして「劫」とは永遠といってもいいくらいの意味で、仏典によれば一辺が40里四方の大石を百年に一度天女が舞い下りてその大石を払い、摩滅して無くなってもなお尽きない時間であると喩えています。そんな劫が三阿僧祇も続くのだから、ほとんど永遠といってもよいほど、気の遠くなるような時間になるといえます。

 私たちも無始以来(始まりがないくらいの昔)生死流転を繰り返し、人間界に生を受けることができました。私たちは「オギャー」と生まれてから死ぬまでが全てだと思っていますが、実は前世、そのまた前世と「輪廻」してきた身の上にあります。その長大な時間において、自分に与えられた時間はほんのわずか、もっといえば一瞬といってもいいくらいなのです。時間はどんどん過ぎていくのです。

 杉山平一さんの詩「いま」に次のようにあります。

もうおそい ということは 人生にはないのだ

おくれて 行列のうしろに立ったのに

ふと気がつくと うしろにもう行列が続いている

終わりはいつも はじまりである

人生にあるのは いつも 今である

今だ

 人生にはもうおそいということはないんだなと思える素晴らしい詩だと思いませんか? 仏の道もそれと同じように、遅すぎることはありません。この瞬間から菩提心をおこして、大慈悲心をもって人に優しく、そして目標に向かって正しく生きようではありませんか。

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