無縁墓(むえんぼ)こそ大切。みんなで手を合わせましょう!
この度無縁のお骨を埋葬する納骨室が完成しました。
無縁のお骨とはいえ、ご供養は大切です。
なぜなら「自分」も「他人」も区別しない清らかな心こそ、み仏の道に繋がるからです。
浄土宗で毎日お唱えするお経(総願偈)に
「自他法界は利益を同じくし、共に極楽に生じて仏道を成ぜん」
(生きとし生けるものすべてが自分も他人も等しくご利益を得て、ともに極楽に生まれて仏道を完成させましょう)
とあります。
誰にとっても「自分」が一番大事です。でもその心は「自分さえよければそれでよい」という自分への執着(しゅうじゃく)の心となります。病気になって死が近づくと自分の体への執着の心は一層増すばかりです。それは苦しみの原因、煩悩(ぼんのう)といえるでしょう。
だからこそお釈迦さまは「自分」のことばかり大切にしていてはいけないとお説きになられたのです。一人でも多くの人が「他人」を思いやることで、この世の中は少しずつ安らいた世界になっていくはずです。
難しいことですが、その道を歩むのが「菩薩」の道です。観音さまやその他すべての「菩薩」さまは「さとり」を求めて修行に励むとともに、苦しむすべての人々を救うことを「誓願」(お誓い)となさいました。そのため今も苦しむ人々を救い続けてくださっているのです。
前述のお経(総願偈)のすぐ前の句は、
「菩提は無上なれども誓って証せんことを願う」
(さとりの道はこの上もなく遠いものであっても必ずそれを体得すると願います)
です。
私たちは苦しみの原因となる煩悩の火を滅し尽くそうとする志を持ち、どんなに遠いものであっても一歩ずつさとりへの道を歩みたいものです。
「なむあみだぶつ」と阿弥陀さまのみ名を称えて共に仏道を歩みましょう。
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