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命より大切な何か

命は大切です。でもその命に代えてでも、何としてもやり遂げたいと思えるものがありますか?言い換えればそれをやり遂げないのなら生きていても仕方がない、と思えるものが…。

以前新聞に次のようなお話が掲載されていました。「あなたの病気は末期ガンであり、あと数ヶ月です」と余命宣告された方が、どうしてもやるべきことを遂げるため、病をおしてそれをやり遂げ、この世を去ったそうです。その方にとって、治療に専念すればもう少し長く生きられたでしょうが、それよりもやっておくべきことを最優先しました。その方は命より大切な何かを見つけられ、本当に生きた甲斐があったと満足されて息を引き取ったそうです。自分が何のために生まれてきたのか、そして自分の使命は何かを見つけられたら本当に素晴らしいことだなあと感じさせてくれるお話です。

さて、今からおよそ800年前、宗祖法然さまに次のようなエピソードがあります。

法然さまの専修念仏の教えが広まるとともに、それに異を称える比叡山や南都仏教諸宗からの圧力、さらには弟子たちの言動が後鳥羽上皇の怒りに触れるところとなり、建永2年(1207)、法然さまの土佐配流が決定しました。法然さまは末法の世において、すべての人々が救われる道は念仏行(阿弥陀さまのみ名を一心に称える修行)であり、極楽往生のためにはその他の一切の行は修めなくてもよいと説きました。専修念仏弾圧の世相をみて、ある弟子が法然さまに「教えをありのままに説くことをお止めください」と申し上げたのに対して法然さまは、

「我たとい死刑に行わるとも、この事言わずばあるべからず」

(訳)私がたとえ死刑になるとしても、教えを正しくありのままに説かずにはいられない(説くことは当然である)。

と仰せになったそうです。正しく教えを説こうとする法然さまの誠実なお姿に、周りにいた人々はみな涙を流したといいます。確固たる信仰と信念をもってたくさんの人々に正しく伝えようとする法然さまの思いが感じられるお話です。まさに万人救済を自分の使命としていたと言えるでしょう。

自分の命と引き換えにしてもやり遂げたいこと、そう思えるものを見つけるのはとても難しいことかもしれません。でももし見つかった時、最期にきっと幸せな人生だったなあと思えることでしょう。自分にとって大切なものは何だろう?

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