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いのちは長し あさ顔の花

あさ顔が開花する季節となりました。江戸時代、大名から庶民にいたるまで愛され、その栽培に熱心になりすぎて家計が傾く江戸っ子もいたということです。

明治時代になって人気を博した「団十郎朝顔」は歌舞伎役者市川団十郎の十八番「暫」において、団十郎が着ていた柿色の素襖に着想を得て作られたものだそうです。この花はとても人気があって簡単には手に入らなかったのでしょうか、正岡子規は「咲いて見れば団十郎でなかりけり」と句にしています。せっかく買ったあさ顔の苗を育ててみたら望んでいた花ではなかったという人がたくさんいたことでしょう。

さて、明治政府の神仏分離政策による混乱期、仏教復興に尽力された福田行誡上人(知恩院76世・増上寺70世)はあさ顔について次のように歌っています。

「露のまも またぬいのちにくらぶれば なかなか長し あさ顔の花」

あさ顔の花が開いたかと思えば昼過ぎには萎んでしまう。そんな儚い命のあさ顔の花でさえ、蓮の葉の上をスルリとすべり落ちる「あさ露」に比べれば、なかなか長い命に思えるものだなあというのである。

福田行誡上人が儚い命に喩えられた「あさ露」については、法然上人のお歌を受けてのものと考えてよいでしょう。

「露の身は ここかしこにて消えぬとも 心は同じ華のうてなぞ」(法然上人御歌)

早朝蓮の葉の上に生まれた「あさ露」はそれぞれ葉の上をすべり落ちては消えてゆく。人の命もその「あさ露」と同じようにいつかは別れるときが来るのである。極楽浄土の蓮台上で再会しましょうという意味です。

人の命をあさ顔の花に喩えたら半日の命。一瞬で消え去る「あさ露」に比べたら少し長いのがありがたい。今のうちに少しずつ善行を積めたら素晴らしいですね。まずは自分のことばかり考えず、人の幸せを願って尽くそうとする心(菩提心)を大切にしていきたいものです。

美しく咲くあさ顔の花がたくさんの人々を楽しませてきたように・・・。

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