今月の言葉「愚痴(ぐち)にかえりて極楽に生まる」

皆さんは日頃の生活の中で、自分の至らなさや愚かさを痛感することはありますか?

「ある」と答えた人は、み仏の救い出会うことができる人です。なぜなら自らの行いを悔い改めること、つまり仏菩薩のみ前において懺悔(さんげ)することは、修行の始まりであり、人として少しでもよくありたいと願う心に通じるからです。

やがてそれは覚りを目指す心=菩提心を発こすことになります。「自分こそ完璧な人間だ」と思う人ほど、至らなさや愚かさに気づくことはなく、御仏の救いにであうことはできないのです。

「浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まると知るべし」

・・・・・法然上人「つねに仰せられける御詞」

「浄土門」とは、この世において覚りをめざす「聖道門」に対する言葉です。法然上人は、自分の力によってこの世で覚りを目指す「聖道門」では、すべての人々が平等に救われないとお考えになりました。それはお釈迦様の生きていた時代から遠く離れた末法の世にあり、しかもすべての人々が煩悩におおわれた罪深き存在であり、また救われようのない存在であることにお気づきになったからなのです。

そこで、万人救済の道である「浄土門」でなければならないとお説きになったのです。私たちは自らを飾ることなく、ありのままに念仏行に励めば、阿弥陀さまは私たちの思いに応え、優しい眼差しを向けてくださるのです。


「救い」とは「幸せ」のことです。念仏行によって、私たちは生きている時の平穏な暮らしと、死後の極楽往生が約束されるのです。

自らの至らなさや愚かさを痛感してこそ救いの道が見えてくるのです。

私たちも飾ることなく、ありのままの姿でお念仏を称えようではありませんか!