
来年の干支は「辰」
十二の動物が順々に廻ってくるのが、干支のいいところ、というか素晴らしさ
まるで輪廻転生のよう
仏教では人として生を享けたなら、「次こそ解脱を・・・」という心構えが大切と説く
「さあ、辰(たつ)君、次は君の番だ!」と言われたときの、辰(たつ)君の気持ちになってみよう!
今からきちんと身も心も整えて準備しておこう!
心新たに新年を迎えたい!
来年の干支は「辰」
十二の動物が順々に廻ってくるのが、干支のいいところ、というか素晴らしさ
まるで輪廻転生のよう
仏教では人として生を享けたなら、「次こそ解脱を・・・」という心構えが大切と説く
「さあ、辰(たつ)君、次は君の番だ!」と言われたときの、辰(たつ)君の気持ちになってみよう!
今からきちんと身も心も整えて準備しておこう!
心新たに新年を迎えたい!
秋は昔から寂しさを感じさせます
与謝蕪村の句に「去年より又さびしいぞ秋の暮れ」とありますが、だんだんと暮れゆく夕日と自分の人生を重ね合わせているのかもしれません。
私たちもご先祖様からいただいた命、そしてたくさんの幸せを、次の世を生きる人たちへつないでいきたいものです。
今月の言葉「だれもが必ず 心をキレイにできる」
心をいつもキレイにしておくことはとても難しい。人間はむさぼり、いかり、愚かさに代表される煩惱によって、自分の身から、口から、そして意(こころ)から多くの罪が表れ出て、それによって悩み苦しみ続けてきた存在だからである。私たちは気の遠くなるような昔から、そうやって迷いの世界を輪廻してきた、つまり彷徨い(さまよい)続けてきた。
もともと人の心はキレイではないといえる。
しかし、みほとけの智恵、完璧な存在を前にして、謙虚に自分を見つめ、罪を悔い改めることで、清らかな心に近づこうとすることが大切だ。
問題は自分の心がキレイではない、と気付けるかどうかだ。
身なりを美しくするだけではいけない。心をキレイに保たなければ本当の意味で美しい人とは言えないのである。
念仏には、前世そのまた前世から積もり積もった罪を滅していく功徳がある。法然上人もそうおっしゃている。
だから大丈夫、心はいつかきっと、キレイになってゆく。一念一念、心から「ナムアミダブツ」とお念仏を称えたいものである。
今月の言葉「感謝と慈しみ 平和への誓いをもって 生きる」
宮崎駿監督の新作映画『君たちはどう生きるか』が7月14日公開されました。1938年の吉野源三郎氏の小説からタイトルを引用しているとのこと。
それをうけての今月の言葉です。
8月といえばお盆。これは日本古来の伝統行事です。そして終戦の日、8月15日。決して忘れてはならないのは戦争でたくさんの命が奪われたことです。
私たちは今、仏さまやご先祖さまをはじめ、生きたいのに生きられなかったたくさんの方々に、感謝と慈しみの心を向けなければなりません。それはまた生きている周りの人々へも同様に向けることが大切です。
そして二度と戦争が起きないように、だれもが平和への誓いをもって生きるべきなのではないでしょうか。
今月の言葉「ときには 下を向いて 歩くのも良い」
梅雨に入りジメジメとした日が続きますね。
お釈迦さまの国、インドでは乾季と雨季があって、修行僧たちは乾季には諸国を廻って人々に教えを説き、雨季には定住して自らの修行に励んだといいます。
雨季は草花やアリなどの小さな虫たちが活動する大切な時期。出歩いて草花やアリなどを踏んではいけないからだったと言われています。
1ヵ所に定住して瞑想することで、自らを見つめ、「正しい行いとは何か?」、「人としてどう生きるべきか?」を考える大切なひとときとしていたのです。
苦しい時でも上を向いて明るく過ごすのはとても大切なことですが、ときには自らの足下を見つめて、じっくり考えてみる時間も必要ですね。
梅雨空のように心が曇ってしまったら、下を向いてみて、自らの心を見つめながら、ゆっくり歩いてみても良いのではないでしょうか?
今月の言葉は『法句経』(友松円諦訳)より
ことばをつつしみ 意(おもい)をととのえ 身に不善をなさず この三つの形式(かたち)によりて おのれをきよむべし かくして大仙(ひじり)の説ける道を得ん
人を罵ったり暴言を吐くのは、たとえネット上であれ決してしてはならいことである。軽はずみな発言であっても、言われた本人は精神的に落ち込み、場合によっては自ら命を絶つ人までいるのである。そもそも人を罵ったりするのは「自分が一番ただしい」と思っているからではないだろうか。
そこで「自分が一番ただしい」と思う心を一度はなれてみなければならない。
仏の智恵の眼(まなこ)のように完璧な心に比べたら、私たち人間の心は何とちっぽけなものだろうか。煩悩におおわれ、正しい判断ができない状態にあるからである。自分がいつも正しいと思うことはただの思い込みにすぎないことがわかる。
人の悪口を言ったり、身勝手な行動をしていたら、自分の心はどんどん暴走し始める。やがては自分の身を滅ぼすことになるのである。
さて、仏教における理想の境地に達するための八つの道、それが八正道である。
(1)正見・・・正しい見解 (2)正思惟・・・正しい思い (3)正語・・・正しいことば (4)正業・・・正しい行為 (5)正命・・・正しい生活 (6)正精進・・・正しい努力 (7)正念・・・正しい気づかい (8)正定・・・正しい精神統一
私たちは本当の幸せを得るために、常にあるべき姿を見つめ、意(おもい)と行動を正していかなければならない。
青空に新緑が映える季節となりました。草木の茂る様子や野鳥の鳴く声などから生命の息吹を感じることができます。
生命といえば、必ずだれしも寿命があります。家族と楽しく過ごしたり、コツコツと仕事に励んだり、その一瞬がその人にとっての思い出に変わります。良い思い出も、苦い思い出もすべてを糧として人間は成長するものだと考えたいですね。
今日の「この一瞬」を大切にして楽しく過ごしてまいりましょう!
お釈迦様は、「この世はたくさんの思い通りにならないものに満ちている」とお説きになりました。たとえば生老病死(四苦)をとっても、人はだれもが年老いて、病んでいき、死んでゆく。どうすることもできないのであり、それにとらわれすぎていては苦しみが増すばかりだというのです。
すべてのことを自分の思い通りにしようとは考えず、
「自分にはできないこともある」
と気を楽にして暮らしていきたいものです。
先ずは自分のいたらなさ、愚かさを知ることです。自分の計らいではどうしようもないことを、私たち人間よりもずーっと大きな仏菩薩の力にお預けすることを「他力」といいます。
「他力」にすがるなんて弱虫だなって感じる人が居るかもしれませんが、「他力」を信じることはおかげさまの心を知ることであり、仏菩薩のような優しい目をすべての人々へ差し向けられる強い心が備わるのです。
お念仏のみ教えでは「他力を信じる」とは阿弥陀さまの力(本願力)を信じることを意味します。阿弥陀さまのみ名を称えて、日々いかされていることに感謝しつつ、充実した日々を過ごしたいものです。
今月の言葉は吉野弘さん「虹の足」の一節です。
雨上がり、雲間から注ぎ込む陽の光。
一面に広がる田圃の中に「虹が足を下ろした」。「虹の足の底に小さな村といくつかの家がすっぽり抱かれて染められていたのだ」と続く。
「それなのにそこに住んでいる人は、家から飛び出して虹の足をさわろうとする人影は見えない。」
そこに住んでいる人たちへ、バスの乗客が呼びかける言葉が「今月の言葉」です。
「おーい、君の家が虹の中にあるぞオ」
そして最後はこう結びます。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。
吉野さんはこの詩で、「幸せは自分では気づきにくいものなんだ」と教えてくださっているように思います。
本当は今のままで幸福なのに、もっと大きな幸福が手に入ると思っていたら、いつまでたっても心は満たされることはありませんね。
来月には桜も開花し、散策も楽しい時期となりますね。「本当の幸せとは何か?」を考えつつ、日々大切に進んでまいりたいものです。
「勝とう」とすることと「負けまい」とすることはちがう
人類学者、霊長類学者でゴリラ研究の第一人者、山極寿一先生のことば(『人類で大事なことはみんなゴリラから教わった』より)
サルはけんかを始めると、みんな勝ちそうなサルに加勢する。ちょうど人間が弱い物いじめをするのと同じように、はっきりとした階層社会をつくる。それに対してゴリラは、勝ち負けをつくらずに、けんかを止める。これはだれもが同じようにつきあおうとする対等社会をつくることを意味するという。このことからゴリラの態度のほうが人間のめざす社会にちかいのではないかというのである。
学校でのいじめ問題もそうだ。強い方に加担してはいけない。また、こども社会だけでなく戦争が終わらないのもそうだ。私たちが明るい社会をつくるためには、「勝とうと」することよりも「負けまい」とする態度が必要なんだなと実感した。
浄土宗からのメッセージ「(前略)社会に慈しみを、世界に共生(ともいき)を」と同じことがいえるんだなと学ばせてもらった。