今月の言葉「愚痴(ぐち)にかえりて極楽に生まる」

皆さんは日頃の生活の中で、自分の至らなさや愚かさを痛感することはありますか?

「ある」と答えた人は、み仏の救い出会うことができる人です。なぜなら自らの行いを悔い改めること、つまり仏菩薩のみ前において懺悔(さんげ)することは、修行の始まりであり、人として少しでもよくありたいと願う心に通じるからです。

やがてそれは覚りを目指す心=菩提心を発こすことになります。「自分こそ完璧な人間だ」と思う人ほど、至らなさや愚かさに気づくことはなく、御仏の救いにであうことはできないのです。

「浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まると知るべし」

・・・・・法然上人「つねに仰せられける御詞」

「浄土門」とは、この世において覚りをめざす「聖道門」に対する言葉です。法然上人は、自分の力によってこの世で覚りを目指す「聖道門」では、すべての人々が平等に救われないとお考えになりました。それはお釈迦様の生きていた時代から遠く離れた末法の世にあり、しかもすべての人々が煩悩におおわれた罪深き存在であり、また救われようのない存在であることにお気づきになったからなのです。

そこで、万人救済の道である「浄土門」でなければならないとお説きになったのです。私たちは自らを飾ることなく、ありのままに念仏行に励めば、阿弥陀さまは私たちの思いに応え、優しい眼差しを向けてくださるのです。


「救い」とは「幸せ」のことです。念仏行によって、私たちは生きている時の平穏な暮らしと、死後の極楽往生が約束されるのです。

自らの至らなさや愚かさを痛感してこそ救いの道が見えてくるのです。

私たちも飾ることなく、ありのままの姿でお念仏を称えようではありませんか!

今月の言葉「寝ていても うちわの動く 親ごころ」

我が子が気持ちよく寝られるように、うちわで扇(あお)いであげる。子供が先に寝るか、あるいは先に親がうとうとし始めるか…。それでもまだうちわを扇ぐ手を休めない・・・。

「もしも扇ぐのをやめてしまったら、我が子は寝苦しくて目を覚ましてしまうかもしれない・・・。」

我が子を思うやさしい親心が伝わってきます。

最近では夜でもエアコンが必要なくらいに熱いので、うちわで扇ぐ家庭は少なくなったかもしれませんが・・・。

その親心と同じように、西方浄土から平等の慈悲心をもって私たち凡夫を見つめてくださる阿弥陀さま。

そのまなざしを感じつつ、毎日を感謝して過ごしたいものです。

もうすぐお盆がやってくる。両親や祖父母、ご先祖さまにも感謝の思いを伝えましょう!

今月の言葉「弥陀の浄土へ導かれ 蓮のうてなに招かれて」

「弥陀の浄土へ導かれ 蓮のうてなに招かれて」(「浅間山噴火大和讃」より)

群馬県北西部と長野県にまたがる浅間山は、1783年(天明3)の4月から断続的に噴火活動を続け、旧暦7月8日(新暦8月5日)、ついに大噴火を起こしました。死者1500名以上という有史以来最大の噴火でした。

とくに嬬恋村の鎌原(旧鎌原村)は土石なだれによって、人口570人中死者477人という甚大な被害を受けました。「浅間山噴火大和讃」(滝沢対吉原作・鎌原司郎補正)は、その災害を後世へ語り継ぐために明治初年に作られたといわれています。今月の言葉はその和讃の一節です。

「弥陀の浄土に導かれ 蓮のうてなに招かれて」

(阿弥陀さまのお力によって極楽浄土へ導かれ、蓮台に招かれて、みほとけと同じように乗せていただけて・・・)

※念仏を称えれば阿弥陀さまの本願力によって、極楽浄土に蓮の花(蓮台)が開き、乗ることができるという浄土信仰の教えに基づく

大切な家族を亡くして悲しみに暮れながらも、「阿弥陀さまのお浄土へ必ず救われる」ことを願い、力強く生き抜いた人々の様子が伝わってきます。

間もなく噴火から240年の節目を迎えます。自然の驚異を知り、決して災害を風化させず、後世の人々へ正しく伝えていきたいものです。

※国道沿いの掲示板の言葉について解説しています

今月の言葉「心眼でしか観えぬものがある」

私たちは自分の目で見ているもの全てが正しいと思い、見えたものに基づいて行動したり発言したりする。

「自分の考えは正しい」と自信を持つことはもちろん大切であるが、でもどうだろう?もともと人はそれぞれが生まれた時から違う環境に育ち、見たり感じたりすることも当然違うのである。

だからこそぶつかり合うのである。子どもなら「けんか」、それが国どうしの「けんか」なら「戦争」ということになる。いつの時代になっても解決しない問題である。

私たちは生まれつき違うものをもって生まれてきた。そのことを自覚し、今自分の目で見ているものだけで判断すべきではない。

仏さまや菩薩さまの眼は物事をありのままに見ることができるが、人間にはそれができない。なぜなら心が煩悩に覆われていて正しい判断ができないからである。いつも汚れたフィルターを通して物事を見ているに過ぎない。

時には自分の目を疑って、心の眼で物事を見つめ直すことも大切なのではないだろうか?

阿弥陀仏のその偉大なお姿と慈悲の光明は「心眼でなければ見られない」とお釈迦さまはおっしゃっています(『仏説観無量寿経』「第九真身観文」)。

それと同じように心の眼でもって世の中全ての人や物事を、ありのままに見られる努力をしたいものである。

※掲示板の言葉について解説しています

今月の言葉「たけのこニョッキ 煩悩の根は断ち切り難し」

昨日、今が旬のたけのこをいただきました。この時期、タラの芽やコシアブラ、こごみやワラビ・・・、大自然の恵みをありがたく頂戴することができます。都会暮らしでは味わえない、まさに田舎暮らしの特権ともいえるでえしょう。

さて、この時期になると顔を出すたけのこ。そのたけのこを全部掘ってもまた翌年にはニョッキニョキと顔を出します。管理できるうちはいいですが、ほうっておくと立ち入ることも困難な竹藪になってしまいます。地中にはびこる根があるから、そう簡単に退治することはできません。

美味しいたけのこですから次々と出てきてもうれしいことなのですが、これが食べ物ではなく「煩悩」という自分を苦しめる心のはたらき(貪りや怒り、愚かさ)だとしたら、喜んではいられません。人間ならだれもが持っているという「煩悩」は、そう簡単には滅することはできません。まるで私たちの体内には、たけのこの根っこのように煩悩の根っこがあるようなものです。

自分の内面に苦しみの根っこが存在している、つまり、たけのこのようにニョッキニョキと煩悩が顔を出す、そんな凡夫であることを自覚することから仏の救いを求める心が生まれてくるように思います。

(今月の掲示板の言葉について解説しています)

今月の言葉「目が覚めて 今日もうれしや 我が身体」

「目が覚めて今日もうれしや我が身体」(詠み人知らず)

境内が花々で彩られ、散策にも気持ちの良い季節となりました。

春になれば花が咲き、夏になればセミの鳴き声が響き渡る・・・そんな当たり前のことも、自然界において動物や植物、水、空気、土などなどお互いに支え合って生きていると思うと、あらためて大自然の恵みに感謝しなければなりません。

さて、私たちは毎朝当たり前のように目が覚めて、当たり前のように生活していますが、よく考えてみれば私たちはいつ終わりが来るかわかりません。悲しいことですが不慮の事故、病気によって命を落とすこともあるのです。

だからこそ目が覚めた時、当たり前と思わずにありがたいことと感謝して、少しでも充実した毎日を送りたいものです。そして大乗仏教の菩薩行、つまり利他の精神で人を思いやる心を大切にしてきましょう。

※掲示板の「今月の言葉」についての解説です

今月の言葉「平和な世の中でありますように」

平和な日常が武力や為政者の権力で突然奪われる、そんなことがあってはなりません。ロシアによるウクライナ侵攻についてだけでなく、軍事政権による抗議運動の鎮圧、また人権侵害の問題なども含めて。

罪のない人々が命を落とすことがありませんように・・・。そして安心して暮らせる日が早く来ますように・・・。

お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』には「兵戈無用 崇徳興仁 務修礼譲」、つまり兵や武器を用いるような争いごともなく、人々が徳を崇(あが)め仁を尊び、努めて礼儀と謙譲(敬う心)を重んじますように、とあります。

世界中が平和であるためには、いかなる理由があろうとも相手の立場を重んじる精神を大切にしたいものです。

本堂内の聯(福田循誘上人 揮毫)

今月の言葉「あれやこれ たくさんすることあるけれど 心は”忙”より”情“でありたい

やるべきことがたくさんあってせわしない心の状態が”忙”という漢字です。自分のことに精一杯で周囲のことを気にかける余裕がないのです。

そんなふうにいつもいそがしそうにしている妖怪が「妖怪いそがし」です。水木しげる氏によれば、この妖怪に取り憑かれるとやたらとあくせくし、じっとしていると何か悪いことをしているような気分になるという。現代の日本人の大半がこの妖怪に取り憑かれているが、本来、人間の幸福のためには”ゆったりした心””ゆったりした気持ち”が大切だといいます。

・・・『水木しげるの憑物百怪』〈上〉

たしかにその通りだと納得させられます。たとえやるべきコトがたくさんあったとしても、同じりっしんべんで”情(思いやり)”を大切にしていきたいものです。

今月の言葉「謹み敬って見つめる先に無上の喜び」

新年明けましておめでとうございます。

本年も皆さま方にとって幸多き年となりますようお祈りいたします。

これからの一年、たくさんの喜びやすばらしい出会いが待っていることでしょう。人を敬い、自らの内面を深く見つめ、決して慢心することなく過ごしたいものです。

仏教徒にとって初めに大切にしなければならないのは「仏・法・僧」の「三宝」です。

仏・・・悟りを開いた人(ブッダ)

法・・・仏の教え

僧・・・教えを受けて修行する集団

「三宝」に帰依し敬う心を備え、謙虚に物事を見つめてみましょう。

そうすれば今まで気づかなかった無上の喜びが見えてくるのではないでしょうか。

今月の言葉「ただおのれの何をなし・・・」

南庭園の如意輪観音像

〈国道沿いの掲示板のことばについて解説しています〉

「ただおのれの何をなし 何をなさざりしを 想うべし」

昨年来の新型コロナウィルス感染症の流行により、思うように行動ができないままあっという間に一年が終わろうとしています。

1日も早く終息することを願っておりますが、それまでは自分なりの楽しみを見つけ、少しでも明るく元気に過ごしたいものですね。

さて、私たちは他人の言動が気になるもので、「あの人は…」と噂話をしたりします。しかもいい話より悪口の方が拡まったりします。インターネットによる誹謗中傷の問題もそのあらわれのひとつといえるでしょう。

お釈迦さまはそんな人間の本性を見抜いていたのでしょう。次のように説いています。

他人(ひと)の邪曲(よこしま)を観るなかれ

他人(ひと)のこれを作(な)し

かれの何を作(な)さざるを

観るなかれ

ただおのれの

何を作(な)し

何を作(な)さざりしを

想うべし

(『法句経』友松圓諦 訳)

今年一年を振り返り、人としてあるべき姿を見据えて自らの心を正し、来るべき令和4年には「なさざりし」ことを「なせる」ように努めてまいりましょう!