花まつり(灌仏会)4月8日

お釈迦様の生誕を祝う花まつり(灌仏会)が4月8日に行われます。

本堂前にお釈迦様をお祀りして、甘茶をかけてお祝いします。

甘茶のサービスもありますので皆様ぜひご参拝ください。

時間:9時~16時半

寺ヨガ4月14日(水)です

次回の寺ヨガは4月14日(水)です。

ご参加お待ちしております。予約はお電話またはメールにて受付中。

℡:0279-75-2396 E-mail:naka.seikenji@gmail.com

今日の裏庭の様子を撮影しました↓

春を待つ

暦の上では春になりましたが、まだまだ寒い日が続いています。

境内に小さな春を見つけました。

福寿草
こぶし
サンシュユ

花手水

縁あってたくさんのお花をいただきました。

境内が明るくなりますね。

境内のイチョウの葉、黄色くなり始めました

11月に入り、朝晩の冷え込みが増すばかりですね。皆さまいかがお過ごしですか?

境内のイチョウの葉、黄色く色づき始めました。

大ケヤキに囲まれた清見寺。これから大量の落ち葉が降り積もります。昔はホウキで掃いてましたが、今はエンジンブロアが大活躍。便利な時代になったものですね。

境内木の伐採をしました

大きくなった境内木。道におおいかぶさるほど成長し、倒れる危険性もあるのでこのたび伐採してもらうことにしました。

西側からの写真↓

Before
After

北側からの写真↓

Before
After

いわびつ潜龍院最後の法印、禰津岩雄の墓

禰津岩雄の墓

今から約540年前の天正10年(1582)、真田昌幸は武田軍の立て直しを図るため、岩櫃山麓の地へ退却を提案するも、実現せず武田勝頼は自害。ここに武田家は滅亡してしまいました。真田昌幸が勝頼を迎えるために建てた御殿は真田の一族である禰津昌月が譲り受け、自ら潜龍院と称して修験者となったとわれています。

清見寺にはその潜龍院最後の法印、禰津岩雄(潜竜院第15世幸道の子)の墓があります。岩雄は法印として鳥頭、川戸の二社の別当職を勤めていましたが、明治に入りその職を解かれ、権少講に任ぜられて鳥頭神社の祠掌を勤め、明治26年9月2日、60歳で没しました。江戸から明治へと時代の転換期を生きた一人の人物の墓から、時代を超えて遠く戦国時代をも偲ばせてくれます。

修験寺院として江戸時代を通して存続した同院でしたが、慶応4年(明治元)、新政府により出された神仏分離令によって修験道は禁止となり、明治17年に廃院となりました。護摩堂は原町顕徳寺本堂として移築されました。

※岩雄の父幸道(潜龍院15世、安政4年没)の位牌が本堂に安置されています。

※岩雄の墓の左隣には、小谷春樹(岩雄の二女繁美の夫。高知県生まれの医師。明治24~5年頃に中之条町に医院を開業。明治30年9月20日没。享年31歳)の墓が建っています。

第15世禰津幸道の位牌

無縁墓(むえんぼ)こそ大切。みんなで手を合わせましょう!

無縁墓(全景)

この度無縁のお骨を埋葬する納骨室が完成しました。
無縁のお骨とはいえ、ご供養は大切です。

なぜなら「自分」も「他人」も区別しない清らかな心こそ、み仏の道に繋がるからです。

浄土宗で毎日お唱えするお経(総願偈)に
「自他法界は利益を同じくし、共に極楽に生じて仏道を成ぜん」
(生きとし生けるものすべてが自分も他人も等しくご利益を得て、ともに極楽に生まれて仏道を完成させましょう)
とあります。

誰にとっても「自分」が一番大事です。でもその心は「自分さえよければそれでよい」という自分への執着(しゅうじゃく)の心となります。病気になって死が近づくと自分の体への執着の心は一層増すばかりです。それは苦しみの原因、煩悩(ぼんのう)といえるでしょう。

だからこそお釈迦さまは「自分」のことばかり大切にしていてはいけないとお説きになられたのです。一人でも多くの人が「他人」を思いやることで、この世の中は少しずつ安らいた世界になっていくはずです。

難しいことですが、その道を歩むのが「菩薩」の道です。観音さまやその他すべての「菩薩」さまは「さとり」を求めて修行に励むとともに、苦しむすべての人々を救うことを「誓願」(お誓い)となさいました。そのため今も苦しむ人々を救い続けてくださっているのです。

前述のお経(総願偈)のすぐ前の句は、
「菩提は無上なれども誓って証せんことを願う」
(さとりの道はこの上もなく遠いものであっても必ずそれを体得すると願います)
です。

私たちは苦しみの原因となる煩悩の火を滅し尽くそうとする志を持ち、どんなに遠いものであっても一歩ずつさとりへの道を歩みたいものです。

「なむあみだぶつ」と阿弥陀さまのみ名を称えて共に仏道を歩みましょう。

無縁墓工事1

無縁墓2