今月のことば「一定と思えば一定する事にて候うなり」
「できると思えば必ずできるものなのです」
「一定(いちじょう)」とは「確定すること」または「確実」という意味です。たとえば負けてはならない部活動の試合(野球やサッカーなど)を思い浮かべてみましょう。試合前の両チームの実力は五分五分、高校3年間で最期の試合、まけたらこれで終わりという場面です。あなたならどんな思いで試合に臨みますか?
もちろん相手チームの分析やチームでの話し合い等、試合前にやらなければならないことはたくさんあるでしょう。しかしここで一番大事なのは、「必ず勝てる」という強い思い、つまりそれまでの練習の成果や自分たちの実力を信じて試合に臨むことではないでしょうか。
はじめから「できるかなあ、どうかなあ」と不安になっていては、勝てる試合も勝てなくなってしまいます。試合で実力を発揮できるかどうかは、心の持ち様が深く関わっているといえるでしょう。「できると思えば必ずできる」と強く思うことがまず何より大切なことだといえるでしょう。
さて、命を終えるときもそれと同じでです。「阿弥陀さまは必ずすくい取ってくださる!」と深く信じる心が何より大切であると、宗祖法然上人がおっしゃっているのです。さらに、いつも次のように自覚し、阿弥陀さまの救いを深く信じて日頃の生活を送るべきだといいます。
①私たちは生死を繰り返しながら流転してきた(苦しみの世界をさまよい続けてきた)凡夫である
②阿弥陀さまはその凡夫を救おうとして、お誓い(本よりの願い=本願)を立て、気の遠くなるような時をかけ、見事にそのお誓いを成就させたのである。成就させたお誓い(=本願)だからこそ力(=功徳)が込められているのである。私たち凡夫はその「本願」の力(=「本願力」)によって極楽往生ができるのだから、「なむあみだぶつ」ととなえつつ、「必ず往生するぞ」と深く信じることがなによりも大切である
法然上人がお示しくださっている深く信じて疑わない心は、やはりお念仏の相続により身につくものです。毎日お仏壇に手を合わせ、お念仏を称え、自らの心の中に確固たる「信心」を育んでいきたいものですね。
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