8月から月1回(第4火曜日)の写経が始まります!
お檀家さんに限らずどなたでもご参加いただけます。参加希望の方は電話またはメールにてお申し込みください。
【日時】8月25日 午後1時~
【持ち物】筆ペンの用意がありますが、硯と筆をお持ちいただいてもOKです。
【申し込み先】清見寺 TEL:0279-75-2396 e-mail:naka.seikenji@gmail.com
8月から月1回(第4火曜日)の写経が始まります!
お檀家さんに限らずどなたでもご参加いただけます。参加希望の方は電話またはメールにてお申し込みください。
【日時】8月25日 午後1時~
【持ち物】筆ペンの用意がありますが、硯と筆をお持ちいただいてもOKです。
【申し込み先】清見寺 TEL:0279-75-2396 e-mail:naka.seikenji@gmail.com
8月の寺ヨガは都合により8月5日(第1水曜日)10時~となります。参加希望の方はメール又はお電話にてお申し込みください。
【持ち物】タオル・ヨガマット(お持ち出ない方はバスタオル)・飲み物
【参加費】500円
本日寺ヨガでした。ご参加いただいた皆さま大変お疲れ様でした。
ヨガ終了後のお話を簡単にまとめてみました。
新型コロナウィルスの影響で幼稚園や小中学校、高校などは5月末まで休園あるいは休校となり、各家庭では子どものお昼を作ったり、勉強を教えたりと忙しい生活を強いられることになりました。一昨日幼稚園が行った休園中の過ごし方のアンケートを見る機会がありました。そこには「普段できない遊びを親子でたくさんやれてよかった」とか「祖父母といっぱい遊んでもらえてよかった」という前向きな意見がたくさんありました。仕事や家事に追われる両親としては、大変なことはあげればきりがないほどあるかと思いますが、楽しみを見つけて前向きに生活していた様子を知り感心しました。どんな状況にあれよいことを見つけて取り組む姿勢は、日々の生活を明るく実りあるものにしてくれます。
中国明代末期の洪自誠は『菜根譚』で
「楽は必ずしも尋ねず、そのこれを苦しむるものを去れば、楽自ずから存す」
(楽しみも必ずしも外に求めて行かなくてもよい。その心を苦しめる雑念を取り去れば、本来の楽しみが自然に生じてくる)【今井宇三郎訳】
と言っています。洪自誠のこの言葉はお釈迦さまの教えが背景にあるといえます。お釈迦さまは6年間の苦行を捨てて、精神統一の修行(ヨーガ)によって覚りを得たといいます。そのお釈迦さまは「苦しみの原因は自分を離れて外に存在するのではない。それは自分の中にあり、その原因を取り除けば苦しみから解放される」と説いたのです。
確かに「苦しい」と感じる心は自分の中にあります。また「楽しい」や「幸せだ」と感じる心も同じく自分の中にあるのです。私たちは心を整え、ものごとを正しく見つめ、今日よりも明日、明後日がよりよい生活になるよう前向きに考えられたら素晴らしいですね。
あさ顔が開花する季節となりました。江戸時代、大名から庶民にいたるまで愛され、その栽培に熱心になりすぎて家計が傾く江戸っ子もいたということです。
明治時代になって人気を博した「団十郎朝顔」は歌舞伎役者市川団十郎の十八番「暫」において、団十郎が着ていた柿色の素襖に着想を得て作られたものだそうです。この花はとても人気があって簡単には手に入らなかったのでしょうか、正岡子規は「咲いて見れば団十郎でなかりけり」と句にしています。せっかく買ったあさ顔の苗を育ててみたら望んでいた花ではなかったという人がたくさんいたことでしょう。
さて、明治政府の神仏分離政策による混乱期、仏教復興に尽力された福田行誡上人(知恩院76世・増上寺70世)はあさ顔について次のように歌っています。
「露のまも またぬいのちにくらぶれば なかなか長し あさ顔の花」
あさ顔の花が開いたかと思えば昼過ぎには萎んでしまう。そんな儚い命のあさ顔の花でさえ、蓮の葉の上をスルリとすべり落ちる「あさ露」に比べれば、なかなか長い命に思えるものだなあというのである。
福田行誡上人が儚い命に喩えられた「あさ露」については、法然上人のお歌を受けてのものと考えてよいでしょう。
「露の身は ここかしこにて消えぬとも 心は同じ華のうてなぞ」(法然上人御歌)
早朝蓮の葉の上に生まれた「あさ露」はそれぞれ葉の上をすべり落ちては消えてゆく。人の命もその「あさ露」と同じようにいつかは別れるときが来るのである。極楽浄土の蓮台上で再会しましょうという意味です。
人の命をあさ顔の花に喩えたら半日の命。一瞬で消え去る「あさ露」に比べたら少し長いのがありがたい。今のうちに少しずつ善行を積めたら素晴らしいですね。まずは自分のことばかり考えず、人の幸せを願って尽くそうとする心(菩提心)を大切にしていきたいものです。
美しく咲くあさ顔の花がたくさんの人々を楽しませてきたように・・・。
清見寺の境内のあじさいが満開!
西参道の両側には満開のあじさいが参拝者を迎えてくれます。歴代上人墓所の登り口もきれいに咲いています。
雨の毎日ですが境内の散策をどうぞ。
コロナウイルス感染拡大の影響により、2ヶ月お休みしておりました寺ヨガを6月10日(水)再開しました。
次回は7月8日(水)10時~。参加ご希望の方はメールまたはお電話にてお申し込みください。持ち物:ヨガマット、タオル、水筒。
naka.seikenji@gmail.com
TEL:0279-75-2396
※ヨガマットをお持ちでない方はバスタオルをご持参ください。
ジメジメした梅雨、そしてコロナ禍により気持ちもスキッとはいかない毎日です。
でも蓮の開花は例年通り、全国各地で見られる季節となりました。泥中より美しく開く蓮華のように、たとえどんな状況でも心を整え、そして前を向いて進んでいきましょう!
雨の日は蓮台が滑りやすくたいへん危険です❗お乗りの際は充分お気をつけください。
当山でお預かりしております永代供養諸霊位のご回向を、6月7日(日)10時より執り行います。
本堂での法要後、供養墓を参拝します。参列を希望されるかたは当日時間までにおいでください。
毎年6月第1日曜日に執り行っております。
例年なら春の桜を楽しみ、ドライブへ出かけて木々の芽吹きを感じたいところでしたがコロナウイルスの影響でそうもいかず…。 そんなわけで昔のアルバム整理をしていると「そうだ、こんなことがあったな・・・」と今は亡き人の姿から当時の場面を懐かしく思い出しました。歳月の流れの速さを実感した時、何ともいえない寂しさを感じるものです。
森山良子さん作詞「涙そうそう」は若くして亡くなった兄への思いを歌詞にしているといいます。一番星に祈りながら今は亡き兄にどんなにか励まされていたことでしょう。 生きていれば苦しいことや悲しいことがたくさんありますが、「少しでも前を向いて歩いてゆこう」という活力が感じられる歌詞でもあります。
兼好法師は『徒然草』の中で「世は定めなきこそいみじけれ」と、人の世が無常だからこそより一層しみじみとした情趣が感じられるのであるといっています。だれもが永遠の命だとしたら、人生の味わいは何と薄っぺらく、つまらないものになるであろうか…。いつ訪れるとも知れない最期があるからこそ、懐かしい日々を思う心と、命ある喜びを感じることができるのでしょう。
過ぎ去りし日々をしみじみ懐かしむとともに、温かく見守る阿弥陀さま、そして先立たれた方々、さらには日頃お世話になっている方々に感謝して、今を大切に生活していきたいものです。
この大般若経600巻は中之条町蟻川地区に伝えられたもの。享和元年(1801)、旧蟻川村の人々約150名が施主となって奉納されました。各経巻に名前が記されています。当山では毎年法要は行いませんが、コロナウイルス退散を祈願して二十数年ぶりに木箱から出しました。