今日は十夜法要でした

今年もコロナウィルス感染症対策として2回に分けて法要を執り行いました。

13時からの「六合に伝わる民話」もたくさんの方にお越しいただきました。

お話をしていただいた「六合の文化を守る会」の山本茂様、黒岩いち様、安原キヌエ様には大変お世話になりました。

また、十夜法要にご参拝くださいました皆様、たいへんお疲れ様でございました。来年の今頃は新型コロナウイルス感染症が終息し、盛大に開催できることを願っております。

「六合の文化を守る会」黒岩いちさん
早朝からお手伝いいただいた檀信徒の皆様

十夜法要は11月25日(金)

毎年恒例の十夜法要が明後日25日(金)に執り行われます。

◆十夜法要

【時間】第一:11時~  第二:14時~

※13時から「六合の文化を守る会」3名をお招きして昔のお話を聞かせていただきます。

どなたでもご参加いただけます。十夜法要に合わせてぜひご参加ください。

境内清掃ボランティア

本日朝8時30分からボランティアの方々により境内の清掃を行いました。

仕事内容は境内西側の坂道や南庭園の草刈り&落ち葉掃きが中心でした。

天候にも恵まれ、そして快く奉仕作業してくださる皆様のおかげで境内がきれいになりました。

ご参加いただいた皆様に感謝申し上げます。

本尊さまを堂内に安置!

皆さまたいへんお待たせいたしました

本堂改修工事が終了し、約6ヶ月ぶりに本尊阿弥陀さまが堂内に安置されました!

これで年忌のご法事やお寺ヨガ等の諸行事もこの本堂で再開となります

堂内参拝ご希望の方は、客殿玄関にてお声がけください(インターフォンあり)

今月の言葉「物言えば 唇寒し 秋の風」

今月は松尾芭蕉の句から。

「人の悪口(短所)を言うと、後味の悪い思いをする・・・。それはまるで秋の冷たい風が口から入るように、寒々とした気分になるようなものだ」という戒めの句。

お釈迦の教えである八正道にも

①正しい見解(正見)、②正しい思惟(正思)、③正しいことば(正語)・・・

とあります。今年の秋は「正しい行いとは何か」を常に考えつつ、大切に過ごしたいものですね。

――善きことを申せば人のためとなり、世のためとなる。悪しき口をたたけば人に憎まれ世にしかられる。恐るべきは口の位なり――(福田行誡上人)

南無阿弥陀仏

本堂改修工事終了

外装塗装工事と古くて重いガラス戸の交換。無事終了しました!

入り口や窓枠には厚いケヤキ板が使われています。本堂の厳かな雰囲気にぴったりです。古い鉄枠を隠すように施工されています。見事な技です。

ひとつぼし工務店さん、ありがとうございました!

そして本堂の壁紙を貼り替えました!下の写真が張り替え作業中の写真↓

本金箔の壁紙を貼ることにしました。費用は高額となりますがもちまったくちがいます。

↓壁紙修復前の写真(右側の壁)※だいぶ黒ずんでいるのがわかります

明日には本尊さまを移動したら本堂を使用できるようになります。

11月25日の十夜法要は美しくなった本堂でお勤めいたします。皆さまぜひご参列ください!

今月の言葉「〈本当に生きた日〉は人によってたしかに違う」

今月の言葉「〈本当に生きた日〉は人によってたしかに違う」

―茨城のり子「ぎらりと光るダイヤのような日」より

もしも今、人生を終えるとしたら、皆さんにとって〈本当に生きた日〉はいつでしょうか?

それは生きていてよかったと思える幸福な日かもしれないし、命の危機に直面した瞬間であったりするかもしれません。ただよく考えてみると〈本当に生きた日〉は意外と少ないものだといえます。

そうした日々は人間にとって大切な物だとは思いますが、もちろん自ら求めようとしても得られるわけではありません。では私たちにできることは何か?

平凡な日常の暮らしが、ひょっとしたら将来「ぎらりと光るダイヤのような日」になる可能性もあるのではないか・・・?。そう思うと「今」がとても大切に感じられます。

目の前のことを「ただ」行うのではなく、「有り難いこと」と受けとめて、一生懸命取り組むことが、将来「ぎらりと光るダイヤのような日」だったと思える一つの道のように思います。

今日は彼岸入り

台風14号(温帯低気圧)にともなう雨がようやく止みましたね。とはいえ引き続き土砂災害に警戒しましょう!

さて今日は彼岸入り。本尊は客殿に安置されています。参拝は客殿へお回りください。

本堂の改修工事ももうすぐ終わりです。まもなく足場が撤去されます!

トランポリンを設置!

アーティスト上原菜摘さんが手掛けた鳳凰の絵で飾られたトランポリン。

卵からかえったひな鳥が困難を乗り越えて成長し、やがては立派な鳳凰になる物語。ジャンプして楽しむだけではもったいない、素晴らしいアート作品になりました。法要中以外ならどなたでも見たり跳んだりして楽しめます。

※大人でもOK(80kg)

布の製作と取付はお檀家さんの森田生代さんと長女の佐千代さんにお世話になりました。

ありがとうございました!

このトランポリンの名前は「なむんポリン」。

「な~む、あ~み、だ~ぶ」と跳べばご利益ありです!

今月の言葉「愚痴(ぐち)にかえりて極楽に生まる」

皆さんは日頃の生活の中で、自分の至らなさや愚かさを痛感することはありますか?

「ある」と答えた人は、み仏の救い出会うことができる人です。なぜなら自らの行いを悔い改めること、つまり仏菩薩のみ前において懺悔(さんげ)することは、修行の始まりであり、人として少しでもよくありたいと願う心に通じるからです。

やがてそれは覚りを目指す心=菩提心を発こすことになります。「自分こそ完璧な人間だ」と思う人ほど、至らなさや愚かさに気づくことはなく、御仏の救いにであうことはできないのです。

「浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まると知るべし」

・・・・・法然上人「つねに仰せられける御詞」

「浄土門」とは、この世において覚りをめざす「聖道門」に対する言葉です。法然上人は、自分の力によってこの世で覚りを目指す「聖道門」では、すべての人々が平等に救われないとお考えになりました。それはお釈迦様の生きていた時代から遠く離れた末法の世にあり、しかもすべての人々が煩悩におおわれた罪深き存在であり、また救われようのない存在であることにお気づきになったからなのです。

そこで、万人救済の道である「浄土門」でなければならないとお説きになったのです。私たちは自らを飾ることなく、ありのままに念仏行に励めば、阿弥陀さまは私たちの思いに応え、優しい眼差しを向けてくださるのです。


「救い」とは「幸せ」のことです。念仏行によって、私たちは生きている時の平穏な暮らしと、死後の極楽往生が約束されるのです。

自らの至らなさや愚かさを痛感してこそ救いの道が見えてくるのです。

私たちも飾ることなく、ありのままの姿でお念仏を称えようではありませんか!